1981-10-23 第95回国会 衆議院 商工委員会 第1号
帰京いたしまして直ちに、夜中ではございましたが、第一回の新夕張災害対策本部の会合を開きまして、第一に、罹災者の救済に可能な限りの処置をするということ、それを第一とし、第二点は、遺家族並びに罹災者援護対策、そういうものに万全を期するということ、それから、救済のための各機関の連絡を密にするために、連絡協議会の設置、地方連絡協議会の設置をいたしました。
帰京いたしまして直ちに、夜中ではございましたが、第一回の新夕張災害対策本部の会合を開きまして、第一に、罹災者の救済に可能な限りの処置をするということ、それを第一とし、第二点は、遺家族並びに罹災者援護対策、そういうものに万全を期するということ、それから、救済のための各機関の連絡を密にするために、連絡協議会の設置、地方連絡協議会の設置をいたしました。
同日午後は、政府の臨時夕張災害対策本部及び夕張炭鉱労使関係者から説明を聴取し、質疑を行なった後、同夜帰京いたしたのであります。 次に、視察の内容について申し上げます。 まず、災害の発生個所は、北海道夕張市福住七番地、北海道炭礦汽船株式会社夕張鉱業所夕張炭鉱第一鉱丁末坑の最上区右部内でありますが、正確な個所は不明であり、また、災害発生日時は昭和四十年二月二十二日午後六時半ごろであります。
この点について臨時夕張災害対策本部古屋本部長たちと会合の際の説明によれば、災害が発生したと予想される地域は、右3六尺の切り羽付近ではないかと思う。
同日午後、衆議院から派遣の調査団を待って、一緒になって夕張炭鉱労働組合、夕張炭鉱職員組合、臨時夕張災害対策本部及び夕張炭鉱経営者の順に、それぞれの幹部から災害事情並びに対策等について状況を聴取いたしたのであります。